生の白菜の食べ過ぎで甲状腺障害!!??

 

少々古いが生の白菜を数ヶ月にわたって0.9kg~1.36kg食べ続け、甲状腺障害を起こしたと言う記事を見つけた。
http://www.narinari.com/Nd/20100513593.html
ニューヨークに住む中国出身の88歳の女性で、糖尿病の症状が改善すると信じて生の白菜を数ヶ月にわたって0.9kg~1.36kg食べ続けたところ、歩けなくなったり物を飲み込めなくなるといった症状が出始めた。
病院に運ばれた女性は、甲状腺機能が低下して呼吸不全を起こし、昏睡状態に陥るほどの重症と判明、そのまま集中治療室で治療を受ける事になった。
原因は生の白菜を大量に食べ続けたため、白菜に含まれる酵素のミロシナーゼを過剰摂取してしまい、甲状腺ホルモンを分泌するのに必要な沃素の取り込みが出来なくなったためという。

植物は一旦芽吹くとその場所から動くことが出来ず、紫外線、ウィルスや細菌などの微生物の感染、昆虫や鳥類や動物による食害など様々なストレスに曝される。
それに対抗するために、刺を生やすなど物理的な対抗策と、抗菌作用や殺虫作用等をもつ物質を作り出す化学的な対抗策を持っている。
白菜などのアブラナ科の植物はシニグリンという配糖体を含んでいて、昆虫の食害にあうとミロシナーゼの作用でアリルイソチオシアネートを生じる。
これがワサビや辛子や大根の辛み成分で、ワサビをすり下ろしたり、葉や茎を細かく刻むと辛みが出るのはこのため。
アリルイソチオシアネートは昆虫には有害なため昆虫はアブラナ科の植物を食べることが出来ない。
が、アリルイソチオシアネートに耐性をもった昆虫が現れる。
それがモンシロチョウで、アリルイソチオシアネートに耐性をもったためアブラナ科の植物を食べることが出来、他の昆虫は食べることが出来ないため餌の独占が出来る。
ただし実際にモンシロチョウの食害に逢うのは白菜よりも、モンシロチョウの活動時期と重なるキャベツの方が多い。
モンシロチョウの幼虫は、シニグリンに誘引されてアブラナ科の植物の葉を食べるとされるため、本来は防御物質なのに逆にこれによって食害に逢うことになる。
ただ植物も無策のままモンシロチョウに食べられてしまうわけではなく、アリルイソチオシアネートがモンシロチョウの幼虫の天敵の寄生バチを誘引し対抗する。
本来は昆虫や動物による食害を避けるためのアリルイソチオシアネートだが、人間はこれを好んで食べるとはアブラナ科植物にとって想定外だったかも。
ミロシナーゼは加熱すれば失活するし、生でも量が少なければ問題ない。 そこそこが重要ということだろう。

話は変わるが、作家の佐伯泰英の時代小説”居眠り磐音江戸双紙 紅椿ノ谷”の第二章の鰻屋の新香に次の様な事が書かれてい

 鰻を焼くには時間がかかった。そこで新香が酒飲みのつなぎの役を果たすのだ。それだけに、白菜、京菜、大根、かぶ、胡瓜、茄子、奈良漬けと、どの店も自慢の美味い新香を出した。
その支度は宮戸川では女衆の仕事だった。

また風野真知雄”の耳袋秘帖、谷中黒猫殺人事件”の第四話、箱の中の蝦蟇にも次の様なことが書かれている。

 根岸は、納豆と白菜の漬物、それに油揚げの味噌汁でまるで朝食のような夕飯をすませたあと、いつものように佐渡から運んだ惣右衛門の井戸の水をぐびりぐびりと飲んでいた。

白菜といえば漬物が定番だが、実際は鰻屋の宮戸川(実在したとして)の女衆が白菜の漬物を漬けたり、南町奉行の根岸肥前守(こちらは実在の人物)が白菜の漬物を食べたりしたはずがない。
なぜなら白菜の栽培が始まったのは大正初期頃からだった。
その点、時代小説の大家と言われる池波正太郎はさすがで、エッセイの中で白菜もタマネギも明治以降と言っている。
キャベツは江戸時代の末期に在留外国人のために栽培されたという記録があるから、日本ではキャベツの方が古株だったわけだ。
白菜 
私の実家は農家で白菜も栽培していたが、収穫漏れの白菜の薹がたち花が咲いて種が出来たことがあった。
子供だった私は白菜の種を採ってじい様に見せたら、そんな種を採ってきてもしょうがないから捨てろと言われ、納得できなかったので父親に見せたら植えてみろという。
白菜は好きな野菜だったので自分で育てた白菜を楽しみにしながら育てたが、育ったのは大根の様な植物になってしまい驚くと同時に不思議だった。
高校生になってからこの謎が解けた。

高校の生物の先生は時代小説や時代劇が大好きな人だった。
生物の授業の時に、前の晩テレビで見た時代劇の中で主人公が白菜の漬物を食べていてと怒った。
なぜかというと白菜はアブラナ科の植物の中でも特に交雑性が強く、近くにアブラナ科の植物があると簡単に受粉してしまい、その種を蒔いても白菜にならなかったのが原因と教えてくれた。
子供の頃蒔いた白菜の種から変な植物が生えてきたのはこのためだった。
江戸時代に何度も中国から白菜の種が持ち込まれたが育種できず栽培が出来なかった。
明治末期に宮城県の松島湾の孤島で白菜の隔離栽培を始め、やっと育種が出来る様になり仙台白菜として栽培が始まった。
同時期に愛知県でも白菜の品種改良が進み現在の様に結球する白菜が出来たと言われる。
このようにして白菜の栽培が広く行われる様になったのは大正以降だが、誤って時代小説や時代劇に登場するくらい日本人にとってなじみの深い野菜となった。

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