国鉄参宮線、六軒駅列車脱線衝突事故

   2017/04/02

 今から61年前の1956年(昭和31年)10月15日に、三重県の国鉄参宮線、六軒駅で列車の脱線衝突事故が起きた。
 この事故に関しては続事故の鉄道史(佐々木富泰、綱谷りょういち著)が詳しく書いているが、いかにも駅員側の過失と言わんばかりの無い様となっている。
 実際のところどうなのであろうか。

 事故の概要は六軒駅で上り246列車と交換の予定だった下り243列車が、停止現示の下り出発信号機を冒進、安全側線に突入後脱線し客車の1両目が本線を支障し、その後約20秒後にほぼ定時運行していた上り246列車が衝突とされる。
 243列車の脱線事故で補助機関車の機関助士1名が死亡、2両目の客車の乗客1名が負傷した。(第1事故)
 その後の246列車の衝突事故で、246列車の機関士1名と243列車の1両目の乗員乗客の41人が死亡、65名が負傷した。(第2事故)

 国鉄参宮線は当時は天王寺鉄道管理局管内の路線で、亀山駅~鳥羽駅の路線で、1959年の紀勢線の全線開通に伴い、相可口駅(現在の多気駅)~鳥羽駅となり、六軒駅は現在は紀勢線の駅になっている。
 伊勢神宮参詣の乗客が多くて幹線扱いにされていたが、1970年の近鉄鳥羽線の開通に伴い乗客数が大幅に減少し、現在ではローカル線扱いされている。

 事故当日は伊勢神宮大祭にあたり、参宮線は朝から混雑し、参宮線の各列車は夕刻まで遅延が発生していた。
 天王寺鉄道管理局参宮線担当の列車司令Mは、上り420列車が約12分遅延のため下り243列車も約10分の遅延が見込まれ、遅延を大幅に回復するのは困難な状況と判断した。
 このまま所定ダイヤどおりの運行を継続すると、松坂駅で243列車と交換する、名古屋行き上り快速246列車にも遅延が発生するため、243列車と246列車を六軒駅交換とした。
 243列車は六軒駅の場内信号機、通過信号機の進行現示で60km/hで走行していたところ、駅中心付近を通過したところで出発信号機の停止現示に気付き非常制動をかけたが停止出来ず、安全側線の土盛りに乗り上げ脱線し、1両目が本線を支障したとされた。
 その20秒後(津地方裁判所認定がした時間、名古屋高裁は30秒)246列車が現場に到達、衝突脱線したとされる。
 


 243列車の機関士、機関助士は六軒駅通過中に出発信号機の途中転換があり信号の見誤りを否定、事故原因は六軒駅駅員にあると主張した。
 一方、駅員側は所定の処置は行っていて、自らに責任は無いと主張した。
 それに対し捜査側は、第1事故は243列車の乗務員の信号見誤り、第2事故は駅員側の事故回避義務違反によるものとし、10月16日に機関車の乗務員A、M、AKの3人を逮捕、その後の11月2日にB助役、南転轍詰所のS転轍掛を逮捕した。(Y信号掛は入院中のため、約500m離れた北転轍詰所のI転轍掛は責任が無いとされ逮捕されていない)

 243列車の乗務員の主張は
  ・下り通過信号機は進行現示、下り通過信号機外方50m地点を通過時に下り出発信号機は進行現示を確認したが、駅中心付近を進行中に下り出発信号機を見たところ停止現示だった。
  下り通過信号機を通過してから駅中心付近にさしかかる前に、下り出発信号機を進行から停止に間際転換した。
  ・運転整理の決定が17時43分頃、指令を発したのが同53分頃とすると、243列車が亀山駅を発車する頃の時点で有り、その時点で遅延を生じていても運行中にその遅延を回復することが予想され、遅延を回復した場合運転整理は不要となり、運転整理の指令が17時53分というのは不自然。
  それを裏付けるものとして、津駅に18時7分15秒に10分30秒延で到着しているが、指令時刻が17時53分頃なら同駅で乗務員に運転通告券を交付するはずだが、交付していない。
  これは243列車が津駅を発車するまでには運転整理の指令が発せられていなかった事になり、指令が発せられたのは243列車が六軒駅に接近する間際だった事になる。
 ・六軒駅では指令を受けるまで所定ダイヤのとおり同駅を通過するものと信じ、下り線の各信号機を進行、上り線の各信号機を停止又は注意現示にしていたが、18時15分頃に指令が発せられ急遽各信号機を間際転換した。
  それを裏付けるものとして、六軒駅下りホームに列車の通過の時のみ使用を許されている通票受柱が立てられていた。

 一方、六軒駅員は自分たちには何等の過失も無いと主張。

 信号の途中転換だが、実際には非常に困難と思われる。
 これを行うには、次の様な操作が必要となる。
 ・下り通過信号機を反位から定位に転換
 ・下り場内信号機を反位から定位に転換
 ・下り出発信号機を反位から定位に転換
 ・26ポイントを反位から定位に転換
 ・上り場内信号機を定位から反位に転換
 ・上り遠方信号機を定位から反位に転換。
 時速60km/hの列車が下り通過信号機外方50mから駅中心まで達するのに約24秒、26ポイントに達する時間は約32秒かかる事になる。
 六軒駅の信号取扱所と松坂方の転轍詰め所は約210m離れた場所にあり、打ち合わせ用の構内電話機は信号扱い所と離れた駅事務室内にあった。
 上記の様な転換操作をするには、転轍掛と信号掛が打ち合わせしながら作業する必要があり、機関車側乗務員の主張する様な短期間での操作は極めて困難と思われる。
 上り246列車の機関車乗務員の証言では、上り線遠方信号機が進行現示だったとされる。

 本務機関助士Oの証言
 近鉄ガード(上り遠方信号機外方569m)を過ぎたと思ったとき、O機関士が遠方進行と喚呼したので、私は前方の窓ガラス越しに遠方信号機をみたところ、その信号は判然と進行信号(反位青色)を現示していた。
 そこで私もこれを確認して遠方進行と応答した。 その後、遠方信号機の少し手前で私もOも、場内信号機の進行信号を現示しているのを確認した。
 補助機関士Uの証言
 事故当日、近鉄ガード下過ぎの踏切付近で、私は上り遠方信号機が進行信号を現示しているのを確認して進行し、さらに、上り遠方信号機手前の小さなガード付近を通過するとき、上り場内信号機を見たが、場内信号機は進行信号を現示していることを確認した。
 補助機関助士Mの証言
 私は列車が近鉄ガードを過ぎてU機関士がら遠方進行と喚呼されたので、ガード先の無名踏切付近で、私は機関車の左側からみると、上り遠方信号機の信号現示は間違いなく青色であり、したがって私も遠方進行と応答した。
 出典:参宮線列車?覆事件の公判に現れた諸問題/末永秀夫 法務総合研究所
 注)原文は実名となっている。

 この証言によると、上り場内・遠方信号機は以前から反位であった事になり、下り出発信号機は定位(停止現示)ということになる。
 243列車の乗務員の主張のように下り通過信号機の反位、下り出発信号機の反位が途中転換されるには、第二種機械式連動装置の導入されている六軒駅で、信号扱い所とポイントの扱い所が離れた場所にある状況で、短期間に下り通過信号機定位 → 下り出発信号機定位 → 26転轍機定位 → 上り場内信号機反位 → 上り遠方信号機反位と、転換するのはきわめて困難と思われる。

更に、検察は列車指令や各駅の担当者の証言で指令が発せられたのが17時53分頃だったことを、証人の証言をまとめて証明している。

 裁判では運転整理の指令時間も、参宮線は単線であり、243列車は快速列車で停車駅が少なく大幅な回復運転は困難で、上り420列車が下庄駅を13分30秒延で17時41分発車の報告で、17時45分頃の発令に不自然はないとされた。

 また、六軒駅の下り出発信号機が停止現示だったという目撃証言もある。

 K.Iの証言要旨
 私は六軒駅の状態はだいたい知っており、下り出発信号機は私の家を出たらする見えるところにあります。
 事故のあった日、汽車で通勤している娘のY子が午後6時10分になっても帰らないので、様子を見に家から出て駅に行った。
 家を出たとき、私はこの下り出発信号機が赤になっているのを見ました。 私はこれを見てもうすぐ汽車が来るなと思った。
 それから私は駅待合所に入り、まず出札口に行き、窓口に座っている四ツ谷さんに汽車が遅れているかを尋ね、それから改札口に行った。
 そこでU,Nさんがいたので話しかけ、私は改札口のところで手すりにもたれながらNさんと話しながら見ると、このときもその信号(下り出発信号機の意)が同じ赤色になっているのを見ました。
 その後汽車が来る頃と思い私は待合室を出てそこから少し松坂寄りのところにある藤棚のところへ来ました。
 その内に津方面から汽車が明かりをつけて来たが、その汽車は大きい音をたて停車もせず進んでいった。
 私は信号が初めから赤になっているのにどういう訳で駅に停まらずに走って行くのかと思った。

 N.Uの証言要旨
 私は午後5時56,7分頃に六軒駅に行った。
 そして行き事務室に入り・・・(中略)・・・事務室から出て下りホームに出ると、改札口辺りにk.Iさんが立っていたのでこの人と話しながらなんの気なしに下りホーム南端付近にある保線小屋ちかくの下り線の信号(下り出発信号機の意)をみたところ赤信号が出ていたので、私は心の中で下り快速列車(243列車を指す)はここで停まるんだなあと想いながら今度は北の方をみたら、丁度西代部落辺りをこちらに向かって来る下り列車の機関車前照灯が見えて来た。
 出典:参宮線列車顚覆事件の公判に現れた諸問題

 通票受柱に関しては次の記述がある。

 右の243列車と246列車の現発通知を受けた後、駅舎にいた被告人Y、同S、Iはやがて到着する列車受けに出て行ったのであるが、その途中、Iは被告人Bに命ぜられて下りホームに246列車を立てたのである。
 これは被告人Bが243列車が何らかの事情(たとえば踏切事故、遅運転等)で246列車よりも遅れて到着する場合には、243列車を通過させると考えたからである。
 出典:判例時報344号

 当然のことながら、246列車は信号の代用にならないとされた。
 津駅で通告券の交付が無かった事に関しても、時刻変更で無く運転整理では、津駅での通告券の交付は必要なく、停車した六軒駅での口頭での通告で足りるとされた。
 『続事故の鉄道史/佐々木冨泰、網谷りょういち』などは信号の途中転換があったと示唆する様な内容となっているが、上記の事を考慮すれば六軒駅を通過と思い込んでいた243列車の乗務員の信号見誤りの可能性が非常に高い。

 一方、六軒駅の駅員は、246列車の衝突事故の回避義務違反を疑われた。
 243列車の脱線から246列車の衝突まで1分間の余裕が有り、B助役はY駅員に指示するか自らが信号てこを扱い下り場内信号機を定位に戻すべきなのにしなかった、Y駅員は信号担当であるのに下り場内信号機を定位に戻さなかった、S駅員は脱線現場近くの転轍機付近で勤務していて、243列車が脱線し1両目が本線を支障したのを目撃しながら、所持していた合図灯を赤色に切り替え246列車に危険を知らせ急停車させる処置を怠ったとされる。

 津地方裁判所は243列車の脱線と246列車の衝突の時間は20秒と認定し(名古屋高裁は30秒)、下り場内信号機を扱ったとしても事故回避には間に合わず、責任は無いとした。
 Sは、無人である事が判っている駅事務所に構内電話で連絡して無駄な時間を費やすより、合図灯で246列車に危険を知らせるべきとされたが、まず電話連絡により246列車に対する停止信号現示をしてもらおうと図った事は、結果として事故回避は出来なかったが、機宣を得た処置であり非難されるべきもので無いとして、責任無しとした。
 一審判決では243列車の乗務員Aを禁錮2年、乗務員Mを禁錮1年、執行猶予3年の判決が出ている。(乗務員AKは病気のため別審理)
 六軒駅員3名はいずれも無罪となっている。
 243列車の乗務員と検察双方が控訴したが、第1審の津地方裁判所の判決は、名古屋高等裁判所での第2審でも支持され確定した。
 
 判らない事が多いとされるこの事故だが、急遽六軒駅での交換を知らされていなかった243列車の乗務員が、六軒駅通過と思い込んでの事故と考えた方が妥当だろう。
 この事故で、信号機だけに依存する運行が危険とされたが、信号機の保安装置としてATSが国鉄全線に設置されるようになるのは、1962年(昭和37年)5月3日に発生した、常磐線の三河島駅脱線衝突事故以降であった。

 参考文献
 参宮線列車顚覆事件の公判に現れた諸問題/末永秀夫 法務総合研究所
 判例時報344号
 判例時報601号

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

この記事へのコメントはこちら

メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。
また、* が付いている欄は必須項目となりますので、必ずご記入をお願いします。

内容に問題なければ、下記の「コメント送信」ボタンを押してください。

CAPTCHA