北陸鉄道、加賀一の宮駅

 

 2009年11月1日に廃止となった北陸鉄道の旧加賀一の宮駅に行ってみた。
 北陸鉄道、石川線は石川県金沢市の野町駅から同県白山市の加賀一の宮駅までであったが、鶴来~加賀一の宮が廃止となっている。
 廃止となった鶴来~加賀一の宮間は元々は金名鉄道が敷設した路線で、白山下~鶴来の一部であったが、負債圧縮のため鶴来~神社前(加賀一の宮)を金沢電気軌道に売却した。
 廃止となった鶴来~加賀一の宮は元々は金名鉄道が敷設した路線である。
 
 鶴来駅はかつては石川線の他に、能美線(鶴来~新寺井)が分岐していたが,1980年9月14日に廃止となっている。


 加賀一宮方の線路で、加賀一宮、新寺井方面に線路が延びていたが、今は電留線として使われている。
  
 かつての踏切で、ここで線路が分断されている。
 鶴来方 A地点 

 加賀一の宮方 

 七ヶ用水橋梁に向かい、15km/hの速度制限標識が見える。

 七ヶ用水橋梁遠景
 
 七ヶ用水橋梁 B地点
 石川線の七ヶ用水橋梁は、侵入防止の垣根はあるがまだ線路が残っている。
 鶴来~加賀一の宮間が廃止となったのも、この七ヶ用水橋梁の老朽化が原因の1つとも言われている。
 
 左側に見えるさびた橋梁が、先に廃止となった能美線の七ヶ用水橋梁。
 橋梁のみとなっているが、原型はしっかり留めている。
 能美線、七ヶ用水橋梁から、加賀一宮方からの模様。
 
 

 線路や架線等は残っているが、すっかり荒れ果てている。
 
 

 この先に踏切があり、そこまでは殆ど変わっていない。
 鶴来方踏切 C地点
  
 ここより風景が急変する。
 加賀一宮方踏切
 
 
 この地点で線路が途切れ、その先も線路が撤収されている。

 三年前の2015年に訪れていた時の踏切の画像。
 
 その際には踏切の器具箱などもそのまま残っていた。
 
 線路を撤去した線路跡の一部は、公立つるぎ病院の駐車場の一部となっている。

 旧中鶴来駅付近からまた線路が残っている。 D地点
  
 
 旧中鶴来駅は以前のまま、ほとんど変わっていない。
 
 
 中鶴来駅から先の路線も比較的程度良く残っている。
 
 直線部分は比較的程度が良い区間が続く
  
 踏切 E地点
 ここに図  
 ここに図  
 直線部分が続き、再び線路が植物で覆われる。

 また、平行する道路が途切れるため、七ヶ用水の対岸から途中の橋を渡り迂回する。
 F地点
 
 
 
 この辺りは依然とあまり変わりが無いが・・・・・
 その先が激変していた・・・・
 
 F地点あたりから線路が見つからない・・・
 
 ふと思い出したら、道路がずいぶん広くなった様な気がする。
 三年前の画像
 
 現在の画像

 なんと、道路の拡張で線路が無くなっていた。

 加賀一の宮駅付近の踏切付近、鶴来方  G地点

 三年前の同地点の踏切付近の画像
 

 加賀一の宮方の踏切画像
 
 なんと遺跡の発掘作業をやっている。

 3年前の加賀一の宮方の画像

 この頃は場内信号機や架線、線路など鉄道設備はそろっていた。

 現在の加賀一の宮駅、ホーム側
 建設会社のシートに覆われている。

 3年前の加賀一の宮駅

 かなり痛みが目立っている。

 加賀一の宮駅、金名線白山下方面の画像

 線路や架線が取り除かれ、ずいぶん開けている。
 三年前の同じ場所

 左側の白い倉あたりで架線が終わっていた。

 加賀一の宮駅の正面の画像

 現在は鎖錠され中に入る事は出来ないが、将来的には何らかの形で公開すると言った内容の張り紙がしてあった。
 窓ガラス越しの加賀一の宮駅



 中に、勾配標識や、線路終端標識、速度制限標識などが無造作に転がっている。
 それを除けば廃止した時の雰囲気が良く残っていて、列車の発着がありそうな感じがする。

 3年ぶりに加賀一の宮駅を訪れたが、以前と変わらない箇所もあるが、かつての風景が激変している箇所もあり、時の流れを感じさせられた。

 

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